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2006.11.23

書く理由

 なんでそんな事まで書くのだと、言われる。
 10行前後の単文は、昼飯頃に10分程度で書きなぐるもので対した事は無い。
長文は、酔っぱらって書いてるからさらにどうしようもない。

 ブログって日記書くものでしょー?とかいわれたって、食事の写真は飲酒の写真で、呑んでるときに携帯触るのは、ポリシーに反するしぃ〜よっぱらってるからできなぁ〜い。
 
 書く理由はちゃんと有るんだよ。だから書く事は辞められないのだ。

 ベタベタの海なんていいまして、波の無い、くろーくてあおーい海を言いますな。今がそんな感じ。
人生で初めてかも知れませんよ、べたなぎの日々。

 つまりそんなわけで、青少年な頃、私はまともな第三者的大人から見て「危険きわまりなかった」訳。
逃げ出そうと思ったって、子供は親の所有物だ。神の所有物になりたいと、進学相談で「修道院に行きたい」なんぞと申し上げたって、相手にされやしない。
 ただ、そこでほっとかれなかったのは幸せで、バブル絶好調な世の中で「修道院に行きたい」などと口走る、生徒のにこう答えた。

 「考えている事を文字にして書いてごらんなさい」

 それは、プロテスタンティズムの中核的コトだから、先ずそれをしてみなさいと、世間に出てから修道院に行っても良いんじゃないかと牧師は言った。(※プロテスタントにはいわゆる修道院はない)

 会社で配られる、「その印刷代が無駄なんじゃねーか!!!」な、健康保険のパンフレットに交流分析のおばさんが、エゴグラムの アダルト を上げる方法(ぶっちゃけ大人になる方法)に、「気持ちを言葉にする訓練」などと書いていた。
 
 結局、その牧師はそれをさせたかっただけなんだ。

 が、アホなアタクシは書いてみた。救われるのじゃないかと勘違いした。叔母のヨーロッパ土産の固い表紙の立派なリングノートに書き始めた。経線でなくて、方眼紙だった。高校1年の終わり頃だった。

 今書いているのは、方眼紙に書いている事とあまり変わらない。
ただ、本質的に違うのは、誰かが読んでるかもしれないという前提だ。だから私は、自分の感じた事をもう一度考え直して、適当な言葉を探し出して書くのさ。

 無駄な感受性の暴走を、文字にする事で制御しようとかまーそんな具合で・・・。

 学生の最初のゼミ教師がデュルケムが専門で私を「プロテスタント」と呼んでいた。「プロテスタントはどう考える?」とかそんな勢いで。「プロテスタント」が何かも分からぬ学生の前で、私はちとんどい思いをした。
 8オウムが世間をにぎわす世の中で、宗教観を持っているってーのは酷くはばかれたんだよね)

 その昔のパソコン通信では、

 メッセージ
 コメント

 というコマンドが有った。コメントはその文章に対して、メッセージはその書き手に対して・・・。メッセージは随分良い言葉で、伝えようとした言葉を指向性を持って、なにやら+のイメージを持って、お返しする。のような。そんなんが良かった。

  

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Comments

文字や図にして可視化できないものは、自分でも理解したり整理できてないこと、と思っている。似たような例えで他人に説明して他人が理解できないことも同様であると。
冷静に考えなされ、と促したのかもね>当時の牧師さん。そういう人に出会えたことは良かったんじゃないかな。

Posted by: 金武 | 2006.11.23 01:46 PM

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