無いといわれるものに惹かれる
プラスの魅力も、マイナスの魅力も同じ線に並べて、
私をずっと魅了しているものは、
在る のに 無い と言われるもの(又その逆)
なんで、そんなこと考えてるの?とか 疲れない?とか 何が不満なの? とか 仕事と関係ないじゃん!とか言われて、「なるほど確かに」とは思うのだけど、ジャニーズに魅了されてコンサートに行ったり、ドラマを見たりするのと同じです。
その、 在る のに 無い と言われるものと言えば
たとえば、差別、信仰(これをいえるのは日本という国だからかもしれんが)、家庭内暴力、イジメ、マイノリティ、サブカルチャー、セクシャリティ・・・・・・・・・・・・・・・・などなど。
目覚めは、セクシャリティとジェンダーだよね。私は男兄弟に挟まれていたから。
「同じ」と言われているのに、「違う」扱いを受けるダブルスタンダード。それで「得」をしてたら、気が付かなかったかもしれないけどそうは行かなかったから。
生殖は生物学的なものなのに(おしべ・めしべで教わって)、エロいとかで包まれて、子供にとっては「無い」とされる。実は、子供も変態の性の対象になりうるのだから「無い」で無防備にさらすのはアホみたいなんだけど。
道端の自動販売機に、エロ本売ってるのに(目に付くのに)家の中では、さまざまな手を尽くして隠される(微笑)とか。まぁ、これなら性質がいいんだけどさ。
実は、 在る のに 無い と言われるものの多くは、「無いことにしたい」「関わりたくない」であって、それはどうにも情けない。
たとえば、弱者に対するコンフリクト、圧力。この世を説明するのが、為政者やら強者に属する人(各セグメントで)たちだけなら言及したくないもんね。
でも、 在る 残念ながら。マスコミはネガティブニュースを大いに拡張してばら撒くけど、自分とは関係ないことだから、面白おかしく聴けるのです。(「わーひどーい」と言ってみるかもしれないけれど、多くは興味本位で受信されて捨てられる)
無い のに 在る といわれるのも困るね。(笑)神話とか、幻想とか言いますが、
たとえば、母性愛とか真実の愛とか絶対の忠誠心とか。無いのに 在るものだからと 強要されちゃったりして、こりゃ参るよ。「えぇえ、そんなもの 無い のですがぁ」っったって「無いわけが無いだろう!」とか言われちゃう。
だから、何で 隠されるのだろう? 何で でっち上げられるのだろう?って考えずには居られないでいる。
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