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2010.09.09

イキルコトイカスコトイカサレルコト

 先日こんな記事があって、それに対して「冷たい奴が多いんだな」とか「世知辛い世の中」だとかいうコメントを見て、驚いた。驚いたというか、唐突な暴力にあったようなそんな気分になった。


 ニュースの要旨は、臓器移植法案の改正で、本人の同意がない場合も家族の同意によって移植可能になったことにより、積極的に「拒否する」と表明する人達が出てきていること・・・。

 登録者数の1ヵ月で7000人というリーチが高いのかどうか(低いと思うけど)は置いておくとしても、意志を表明することは非常に重要なことだ。
 それは「拒否」でもいいんだよ。だれもそれを批判できない。やすっぽいヒロイズムで本人の主権を侵害しない。
提供するのもけっこうなこと、提供しないと表明するのも大事なこと・・・。

 今のアタシの薄っぺらな判断でもそれぐらいは分かるわ。

 相方が亡くなって、割とすぐ。

 親しい友人が骨髄提供のドナーとして選ばれた。

 とっさに、事故なく無事に提供できることを祈った。正直申し上げて、大変申し訳ないが、決して、レシピエントの回復を祈ったわけではない。

 二十歳になったとき、臓器提供意思表明カードに、父親のサインをもらった。母親は、そーいうことが、まああああああああああったく×な人で、おおよそ、寄付とか、ボランティアに興味がなく、むしろ積極的に否定していて、それに関わろうとする娘を「気持ち悪い」と評するぐらいなんだから、ハハオヤには内緒であった。


 叔父が亡くなったときかな・・・だから2年前かな・・・医療過誤が疑われて司法解剖したんだな・・・。

 それまでも、臓器移植については・・・全ての臓器を一緒くたにではないけれど・・・それは、医療として成立していても、人としてどうなのか・・・と、もやもやとしたものを抱えていた。

 
 プラスティネーションの人体が、中国人死刑囚のもので、胎児は女子で・・・それを見たときも、もやもやと・・・。

 一縷の望みをかけて飛行機に乗り込む小さなベッド・・・。


 2年前に古箪笥の引き出しにカードをしまった。考え詰まってないのに持ち歩くのも嫌な気がした。


 終末同意という言葉として覚えている。積極的な延命をするか否かについて家族の同意を取ること・・・。

 今思えば、丁度一週間前だった。問われたときは、流石に滝のように涙が出た。「積極的延命はしないで下さい」と相方を産んだ人の前で私は言った。
 
 一秒でも生きていて欲しい、と思わないわけがないが、最後の理性がそれを押し止めた。人らしくない状態で、ただ、生かされている状況を強要するのは、エゴだ。自分のことしか考えていない、典型的なエゴイズムだと・・・。

 死因を調査しますか?と問われて、私は、ひどくウェットな判断をする。

 解剖を拒否した。

 これ以上は書けません。おわり。
 


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