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2011.07.02

一年がすぎた

 6月30日が過ぎていった。

 平日だし、家でうぢうぢしてよーかと思ったけれど、それも寂しいから、ちょっとお誘いしたらば20人のお客様が、この日を偲んでくれた。

 思いがけずの大勢のお客様に、私は一つの感情の変化を得る。

 
 のばぐと一緒にカトリックの結婚式の立会をした。
 これから長いおつきあいになるからと、結婚式にご招待いただいた。
 無くなる前年の事である。

 事実婚で、年の差で、オフィシャルな場にふさわしい夫婦かは相当に自信が無かったのだが、ありがたいことだった。あーわたしら夫婦なんだなぁ~と今更ながら自覚した次第。

 まさか、翌年に社会化(?)された夫が召されるとは思ってもみなかった。私が夫婦の先輩としてどーこーできるとは思わなかったが、のばぐはそれなりにうれしかったんだと思う。

 そのふた組のカップルもきてくれた。1年目のちびちゃんもご一緒に。
 どうも、この夫婦にお目にかかると、なんだか申し訳ないような、そういう気分になっていた。もっとなにか二人でしてあげることがあっただろうのに…この ザマ だと・・・。

 最後までやりたいことやって、幸せだったと思うよ。
 いい人生だったんじゃないかな?

 こう慰めてもらうのに、腹の底では「死んじまったらおしめーなんだっ!」と真っ向から反抗していたのは、他ならぬ私で、死んでしまったという事実以外で物事をみることが、ずーーーーーーーっと出来なかった。

 そう、もうひと組のカップルが居る。もうその時は、長引く風邪ということで、イマイチ元気が無かったんだが、一緒に年越ししたカップルだ。当然、大酒を喰らったわけだが、そのあと、赤ちゃんができたことが発覚して、二人で狼狽した。のませちゃったのませちゃったのませちゃった!

 亡くなって3月後に元気な男の子が生まれた。

 のばぐは、この世から去って行った。それは大きなイベントだった。主に事務手続きの連続なわけだが・・・。大勢の大人をなぎはらい、無言で動きまわる1年の命と、止まってしまった50年の命が、まるっきり別のものだとは思えないように感じる。なやかや言って、アジア人だなぁ~と我ながら呆れる、照れる。照れてどうする。

 2020年には、死体ゴロゴロで焼き場が一杯になって、自治体は死体への対応が大変になる。と、1994年頃話してくれた、大学のせんせーも、去年亡くなった。ガンだった。葬儀に行かなきゃ!と思ったのに、なぜか私は行かなかった。
 
 祖母は94歳(5だっけか)で健在。高級老人ホームにいる。去年、ホスピスに入れる為の金策をした際、祖母の老人ホームの費用の確保で余裕はないという答え。
 老人ホームの費用1か月分で、ホスピスに3カ月居られる。その時、私は、90年も生きているのに!と思った、間違えなく私は、祖母の存在に酷く強い否定的な気持ちを抱いた。

 地震で大勢の人が無くなった。私の経験なんて、消し粒ほどにもならないと、そもそもが比較するものじゃないのに、せっせと比較する。

 亡くなる一週間前のムンテラで、人はいずれだれでも死ぬんですよ。と言った、主治医に喰ってかかった。死んで嬉しい家族が居るか!事実じゃない、気持ちの問題なんですよ!と。
 科学で商売してるのに、言ったセリフは 気持 かよ。

 解剖もしなかったしな・・・。

 ヒマワリたくさん飾った。久しぶりに写真のボードを引っ張り出してみた。
皆の持ってきてくれたもの、皆の持ってきてくれた空気。一年過ごしてきた、細かいパーツ。

 のばぐは、早死にしたけれど、幸せだったんじゃない?この国の黄昏をみることなく、自分のカラダが時間によって朽ちていくのに苦しまず・・・その、腕と頭で獲得してきた、一流のエンジニアのまま召されたことは。幸せだったんじゃない?
 
 2回結婚したしな!かたっぽ、こんなんだけどなっ!
 
 2年目。さー、どこへいこうか。私は。
 
 

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