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2012.12.11

定点観測あるいは変化

 定点観測は結構重要で、たとえば誕生日だとか、季節の行事だとか、そういう季節ごとのライフイベントが、その機能を果たしたりするのだろうけれど、
 
 私にはライフイベントがないので、HASHのクリスマスパーティーとか、季節のお芝居とか・・・


 3年前、アメリカ人になりたかった相方と、「ココに一緒に来たかった」というのと、数日前に思わず出た言葉は、記号としては同じだが、中身はまるで違う。

 もーもはや、からくり人形なう。

 きっと喜んだだろうな・・・、きっと の責任感がひどく乏しい。
もー何も意味しないし、どうも胡散臭さまで付きまとうような、そんな変な台詞だ。

 昨夜見た芝居は、クリスマスディナーを供するフレンチレストランが舞台で・・・
おととしはまだガクガク震えていた状態で引きずるように、久しぶりの劇場にたどり着いたんだ。

 一昨年の台詞は「一人で食べる食事は 寂しい」(男)で、今年の台詞は「一年目が一番つらいのよね、去年の今頃は貴方と・・・」(女)であった。年老いた男女の会話。頑固で意固地な、妻を失ったばかりと男と、それよりも前に夫を失った世話焼きの女の話。

 ハネた後の食事も、肉の塊は腹にこたえる。最近ひしひし感じるのは己の劣化であるが、劣化というと、本当に劣悪に状況が悪化していくようで、最近よく聴くこの言葉が嫌いだ。しかして、品質が落ちているのは事実で、熟成というにはなんか合わないしな・・・

 などと思いつつ、でも、昨夜の芝居は、一昨年の何倍も、見ることができて、聴くことができた。

 某所の租界でも3年間でもっとも 「まとも」 だったように思える。

 経験値のステージにシフトしていくということなのだろうね。
その経験っつーのと、ガン因子が同義語のようにも聞こえる。
 
 相方の居たころと、同じ生活を維持しようと、必死に頑張った時もあったが、それは妙ちきな義理立てのようなもので、今はすっかり止めてしまった。というより、止めないと生活を維持できないのだから仕方ない。

 寒い風が吹き出して、隣のアパートが無くなって、今まで見れなかった自宅の壁と、一人で住むには大きすぎる鉄骨の箱が、もう「これからどうする」と訊ねてくることも無く、言えば、記憶の底の方に、相方はズンズン進んで行き、それに時々気がついて、はっとするけれど、だからといって、その背中を追うわけにもいかず・・・

 結局のところ、去るものがいかに時間に疎いのかと、たいした衝撃も受けず、塩水程度に沁みるわけだ。


 

 

 

 

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